睡魔
会社で歓迎会やってくれたので二次会までただ酒でごきげんまりあ!
しかしながら、まりあんらぶりんですっ!のメールにブログコメントとかきついです。
いくら好きでも眠い。
そんな中で目が覚めるようなブログを簡単に紹介。
牧野真莉愛に限らないが、多くの美しさを超越したアイドルには引用するこの言葉が思い浮かぶ。
定義が難しいというよりも万人の度量衡が存在し難いからではなかろうか?
美…それは実に恐ろしいものだ。
それが恐ろしいのは、それを定義することができないからである。
id:Miitoiroiroさんが定義した『アイドルに求めるもの』はかなり普遍的なそれではないかと思う。
アイドルに私が求めるもの
- ビジュアル
- 決める力
- 愛されたいという欲求
- キャラクター性
- 歌唱力(主に声質)
- 根性
氏はこの条件にまりあ様が遠いと当初は感じ、今はそうではないということである。
さて、自分がこの項目ならばどう思うか考えてみた。
1.に関しては娘。加入の半年前からそのルックスに驚愕したけれども、11期オーディションではひっかからなかった。
2.は後述する。
3.はまさにこの欲求の権化である。
4.はまりあんらぶりんというギミックを用意し、ものの見事に化けたと言える。
例えば、グレートムタとかのように化身として理屈抜きに強いと思う。
5.は歌唱力こそ発展途上だが、徐々に自らのフィールドを確保しつつある。
6.は三度のオーデションを経て娘。への加入を決めた努力家であり根性はある。
さて、2.を振り返ろうか。
サッカーで言う決定力。これこそがまりあ様の持つ天性の聖母性であり、処女性であり、天使せいでもあるし、女神性ではなかろうか?
使い古された画像であはあるが…
この画像の凄さはエロティックだったり、セクシーだったりすることではなく(つまりたった一瞬を切り取ったわけではない)
あくまでも、このシーンでの生薬になる意識が明確なのである。
ステージに立ったまりあ様は手は抜かない。
常に全力投球。それゆえにカメラワークについていき、自分が見て欲しい場面にそっちを向くようなタイプ。
その意思の強さが今まで何度となく映像になったり画像になっていると言えまいか?
カモン!と叫ぶ彼女の強さはいつものまりあんらぶりんちゃんとは違う。あれだけで曲に重さと疾走感が増したように感じた。空気が変わるとはこのことだ。そういえばPVでも彼女のシーンは頭に残っている。曲の雰囲気に合わせてキャラクターよりも表情を優先する。自分の性格さえも変えてしまいそうな危うさと美しさをたまらなく好きになった。
レンブラントの絵に吸い寄せらるように、あるいはモナリザの前で立ち止まってしまうように、牧野真莉愛という少女が惹きつける世界はあまりにも美しいのだ。
きっと秋ツアーはとんでもないことになっている。そんな気さえする。未来しか感じられない。
そんな未来がもうすぐやってくるのかもしれない。その日のために今年の夏はいつ終わってくれてもいいと思っている。
牧野真莉愛が紡ぐ未来をいまかいまかと楽しみに待っている人が増えている。