夢のつづき
トピック「Berryz」について
Berryz工房活動停止から5日。あまりにも美しく儚く終わったあの祭りについての記述は皆様の熱い思い入れにかつてBerryz工房という名前が決まった日に立ち会った初期からのファンにとっては感慨深い想いがあります。
いまだに…あの日の情景が思い出され目には涙が浮かびます。楽しみに録画した映像を見ようと思うのですが、残念ながら皆様の10分にわたるBerryzいくべ!コールからのスペジェネのイントロのコールがそろう場面から先に進めません。
あの冒頭の10分だけでBerryz工房の名前は誰も忘れることがないと思います。
さて、あの日の記憶を語らずに過去を語ることに意味もなく、残念ながらBerryz工房は映像の中のものとなってしまいました。しまいましたが、Berryz工房へのポジティブな感情をわき起こすために、敢えて未来志向で書き綴るとゆいたいです。
なお、一部不適切な記述があるかもしれません。とくに大きく傷ついている方々への配慮が足りないと思われたら恐縮ですが、とあるロックバンドそしてそのバンドの中心人物と嗣永桃子の相似点について記述したいと思います。
その昔、ロックという音楽のジャンルが元気だった時代にKing of Liveの異名をとったバンドがあります。RCサクセション。忌野清志郎という不世出のスターは惜しくも泉下に没しましたが、70年代にフォークバンドとして成功後低迷期を過ごしましたが、80年代に「雨曲りの夜空に」という曲と共に世の中に再び戻ってきます。とんがった人でしたので様々な騒動も巻き起こしますが、基本的には良い人ですし、そのボーカルはまず真似できない日本人離れした歌手でした。
「雨上がりの夜空に」は初期のLoVendoЯが披露していたので皆様の記憶の片隅にあるかもしれません。
RCサクセションは忌野清志郎と仲井戸麗市のジョイントがその躍進の最大の理由と言ってよかったわけですが、結局のところこの二枚看板に頼りすぎたことなどが原因で無期限の活動を休止します。
その後、これだけのキャリアがありながら、ソロ名義の活動などもはさみつつ、忌野清志郎は「忌野清志郎 & 2・3'S」として、あらたなバンド活動をします。
一回り以上離れた若いメンバーと好きな音楽を行う、という目論見はあまりにも偉大なカリスマと若いミュージシャンという立場が邪魔をして思うほど楽しめなかったのか3年ほどの活動を経て解散。以後「忌野清志郎 Little Screaming Revue」が活動の母体となっていきます。
また当時からの盟友である仲井戸さんは、その後何度となく共演を果たしております。
結果として喉頭癌で旅立った清志郎ではありますが、転移前に行った復活祭には過去のメンバーやサポートメンバーが集まり華々しく行われました。
勿論、何から何まで一緒なんてことはあり得ませんが、現在の嗣永桃子のポジショニングとかなり被るのでは?というのが僕の見立てであります。
Berryz工房の無期限の活動停止という文言は、どう考えてもRCの無期限の活動休止と同じ意味合いを持つものだと思います。そこから嗣永桃子はどう歩を進めるのか?
一つの答えが「カントリー・ガールズ」です。カントリー・ガールズは若くて有望な子ばかりですので嗣永桃子に遠慮を今はしていますが、そのうちフェードアウトすることが皆様も想定の範囲ではないでしょうか?そして、盟友との共演…
これは夏焼雅、鈴木愛理とのBuono!の再始動を期待せずにはいられません。
須藤や清水や徳永は幸いにもハロー!プロジェクトに残ります。
絶対という言葉はありません。そう断言するには菅谷はあまりにも多くのものを犠牲にする人生だったのだと察することはできます。
しかしながら、こういう相似点から考えるとBerryz工房というグループへの想いは事務所にもきっとあるのだろうと改めて考えてしまいます。
すぐに活動再開することはあり得ないかもしれませんが、暫しの休息の後、再び8人が揃ってくれたらいいな、と思っています。
希望を持っている限り夢はつづきます。